~フウガドールすみだ 荻窪孝監督インタビュー~
現在、Fリーグに所属するクラブチームを率いる監督は、高校生年代、あるいは社会人になってからフットサルと出会い、競技の魅力にハマった経験を持つ人がほとんどです。フウガドールすみだの指揮を執る荻窪孝監督もその一人。20代前半にフットサルに出会い、Fリーグが始まった最初のシーズンにFリーガーとして活躍し、以来長くフットサル界に携わってきています。監督として過ごす現在地について、また、そこに至るまでの歩みとこの先の未来について、お話を伺いました。
プレーオフ進出をめざして、リーグ再開後もブレずに目標を追う
荻窪孝監督がトップチームの指揮を執ることになって2シーズン目。2022-2023シーズンのFリーグは、3年ぶりにプレーオフを再開し、リーグ戦上位3チームで優勝を争うことになっている。多くのチームがまずはこの3チームに入ることを目標に、ここまでのリーグ戦を戦っている。フウガドールすみだも当然、目標はそこにある。
荻窪監督「ここ数年のリーグの傾向ですと、おそらく5敗というのがプレーオフのラインになってきていて、6敗以上してしまうとプレーオフすら争えない状況になると思います。現在うちは、3勝1分4敗でもう崖っぷちという状況ですね」
現在F1リーグは、AFCフットサルアジアカップ開催のために中断中。8月の終わりから10月中旬過ぎまで試合はない。ここまでの戦いぶりを振り返ると、少し厳しい状況にいることがわかる。
荻窪監督「直近は上位3チームとの対戦でしたが、そこに1分2敗は正直、いろいろ考え直さないといけない部分も多いかなと思います。ただ、名古屋(オーシャンズ)戦の退場局面ですとか、湘南(ベルマーレ)戦のロングボールへの対応ですとか、ちょっとしたところでゲームは決まってしまうので、そういうところを自分たちのものにできる力というのも必要かなと思います。どういう時間帯に、どういう流れでゴールを取るか、名古屋の退場局面では自分たちにもチャンスはあったので、そこで取れていたらうちのゲームになっていたかもしれないし、湘南戦も宮崎(曉)から(清水)誠也のところで何回かチャンスがあったので、そこで取れていたら結果は違ったかもしれない。やはり決定力というところは、上に行くためには高めないといけないし、上に行くチームにはそういう選手が必ずいるので、そういった選手が出てこないといけないとも思います」
今シーズンは、期限付きで海外のチームをいくつか巡り、直近はスペインのCordoba Patrimonioに在籍していた清水和也選手が4シーズンぶりに復帰。ピヴォの選手層が厚くなり、その特徴を活かした戦い方をしている。
荻窪監督「ピヴォにいい選手がいるので、そこを活かさないというのはあり得ないですから。シンプルにピヴォを使って、そこを活かしながら攻撃をしていくというのが1番の特徴です。僕自身は4枚のクワトロも好きなんですが、今は、シンプルに手数をかけずにゴールを目指したいというところがあるので、形にこだわるより、どんどんゴールに向かっていきたい。昔のフウガがそうだったんですけど。システムにこだわるよりは、いる選手を活かしながらゴールに迫って行けたらと思っています」
約9カ月間続くリーグ戦。その間、チームは変化し、成長し続けなければ勝ち抜いていくことは難しい。特に今シーズンは、中断期間が1カ月半あり、すべてのチームがその時間を使ってレベルアップを図っている。8節までの戦いをどう活かすかも再開後の行方を左右する。
荻窪監督「僕は、いろいろサイン(プレー)を持っていて、流れのなかでもそのサインを使ってフィニッシュまでいく形は自分たちは持っていると考えているので、その精度をシンプルに上げるというのも大事だと思っています」
サインとは、フットサル用語の「ジョガーダ(Jogada)」、いわゆるサインプレーのこと。パスの順番や人の動きをあらかじめ決めておいて、試合の中で実践していく。この精度を上げることで得点力の向上を狙う。
荻窪監督「攻撃ではもう一つ、チームとして、グループとして、自分たちの形、パターンが必要だと思います」
得点力を期待するのは、やはり清水和也選手。
荻窪監督「得点王にもなってほしいですし、勝ってる試合では彼は点をとってくれている。やはり得点をとって、試合を決める選手になることを期待してますね」
ピヴォを使った攻撃にプラスアルファも仕掛けていく。
荻窪監督「ピヴォを抑えられてしまうと、そこで攻撃が終わってしまうので、逆にピヴォだけではないというところも強化したい。2人の関係を使ってワンツーで崩すとか、スペースを使っていくとか、ドリブルで勝負していくといった攻撃ができる選手も使っていきたいと考えています」
追い風となるのは、9月初旬に練習にも利用しているすみだフットサルアリーナに新コートがオープンし、正規のサイズ(20m×40m)のコートでの練習ができるようになったこと。これまで練習に使っていたコートは縦が35mだったため、ロングボールへの対応や逆にロングボールを使った攻撃の練習ができなかった。
荻窪監督「これまでは裏へのパスは、ゴレイロがカバーできてしまったので練習での再現性はなかったんですけど、新しくできたコートは、40mのフルピッチになっているので、裏でパスを受けてシュートまで行くといった練習もできる。ですから、中断明けにはピヴォを使った攻撃だけじゃなくて、スペースを使った攻撃も出していけるかなと思っています」
8節まで戦ってわかった守備面の課題も克服したいところ。
荻窪監督「(1位の)名古屋は8試合で10失点、うちは21失点しているんですけど、この差は大きい。やっぱり守備は修正しなければいけないと考えています。今年は特に、名古屋戦や町田戦は攻撃のときに横パスを取られた形でのロストからとか、コーナーの失点とか、去年はあまりなかった失点が出ている。やっぱり大事な場面で失点するとそこから流れが変わったり、勝負が決まったりする可能性があるので、そういったところはしっかり詰めたい。それと、個人の能力を上げることがチーム力につながっていくと思うので、そういったアプローチもやっていきたい」
新しいコートで練習する選手たちの様子は、これまでよりもずっと楽しそうだという。だからこそ、ブレずに目標を見つめる。
荻窪監督「プレーオフ進出という目標は変わらないです。変わらず掲げてやっていきますけど、崖っぷちという位置に来てしまっているので、リーグ戦前半の反省して活かして修正して、環境も良くなったので、よりパワーアップしてリーグ再開を迎えたい。そこから本当に全部勝つくらいの勢いで、プレーオフに進出したいと思っています」
リーグ再開に向けて、準備は着々と進んでいる。
人生の方向性を変えた、フットサルとの出会い
荻窪監督がフットサルに出会ったのは、高校卒業後に参加した社会人リーグに所属するフットボールクラブFC SOCIOS(ソシオス)で。サッカーをメインに活動するクラブだったが、フットサルリーグにも参加していたこともあって、どちらのリーグにも選手として出場した。
荻窪監督「僕たちが18歳頃にフットサル場ができてきたんです。それまでフットサルは知らなかった。知って、『あ、おもしろいな』って、『サッカーよりおもしろいな』って思ってしまったんです。今の子どもたちはフットサルがあって当たり前になっているけど、僕らの世代、40歳前後の指導者はそういう人たちだと思います」
フットサルを始めて感じたのは、サッカーで受けた指導の物足りなさ。
荻窪監督「僕は中学生からサッカーをやり始めたんですけど、フットサルに出会ったときに、『なぜ、こういうふうに教えてくれなかったんだ』『戦術的な部分をもっと教えてくれていたら、自分ももっと上手くなったのでは?』と思ったんですよ。フットサルを始めたあとに、たまにサッカーをやると全然プレッシャーを感じないなとか、動き方も局面のグループだったらシンプルなワンツーで簡単に突破できるなとか、サッカーがすごくラクに感じた。だからもっと昔からフットサルをやっていたら、絶対にもっと上手くなれたなという感覚があったんです」
(小学4年生は手品クラブ、5~6年生は卓球クラブだった荻窪監督)
そんな思いを抱いた頃、荻窪監督をもっとも驚かせたチームがP.S.T.C. LONDRINA(ロンドリーナ)だった。2003年に開催された第8回全日本選手権での準決勝、CASCAVEL(カスカヴェウ)との対戦を見たことが、さらにフットサルへ傾倒していくきっかけとなった。
荻窪監督「もっというと、神奈川県大会でロンドリーナとボンボネーラというチームの対戦があって、県の大会なのにこの試合を見に結構お客さんが来ていて、『そんなにすごいチームなの?』と思って試合を見てみたら結構おもしろくて。それでカスカヴェウとの対戦を見に行って、憧れのチームになった。僕もフットサルを本気でやってみたいと思いました」
フットサルに本気になった頃に出会ったのが、現在も現役Fリーガーとして活躍する森岡薫選手(リガーレヴィア葛飾)。知り合ったことをきっかけに、当時森岡選手が所属していたBlack Shorts(ブラックショーツ)へ移籍する。
荻窪監督「ソシオスではサッカーを頑張っていて、フットサルはリーグに参加しているから出ているという感じでした。たまたまリーグ戦で見かけたブラックショーツに薫がいたんですけど、『こいつと一緒にやったらおもしろそう』と思いついて、『入れてください』と。僕も点を取っていたので、『いいよ』ってことで。フットサルを本気でやるために、ステップアップとしてブラックショーツに移籍した流れです。当時は、簡単に移籍できたんですよ」
加入して2カ月後にBlack Shortsは、関東リーグへの参入戦に挑む。
荻窪監督「3回戦あったんですけど、2回戦と3回戦は同点PK、激闘を勝ち上がる、みたいな。勝ち上がったときに、生まれて初めてうれし泣きしたんですよね。ただ、僕がうれし泣きしてたんで、『お前、2カ月しか頑張ってないじゃん』って言われて、チームのみんなからは批判されました(笑)。薫もうれし泣きしてましたね」
その後は、森岡選手とともに神奈川県選抜に招集されるなど、フットサル選手として実力をつけていく。この神奈川選抜の主体がP.S.T.C. LONDRINAの選手たちだった。レベルの高い選手たちとの関係が深まる中で、移籍の話が持ち上がる。
荻窪監督「ロンドリーナは憧れのチームでもありましたし、『もっとフットサルを知りたい』という思いもありました」
P.S.T.C. LONDRINAへ移籍して3シーズン目にFリーグが開幕、荻窪監督は湘南ベルマーレの選手としてFリーグデビューを果たす。同時にこの移籍が、指導者への道を拓くこととなった。
選手と指導者、現在地へ導いた二足の草鞋
フットサル選手は、仕事を持ちつつ、プライベートな時間を使って選手として活動する。Fリーグも所属チームのプロ化を目指してはいるが、まだ時間はかかりそうだ。荻窪監督も当時は会社員として働きながら、選手活動を行なっていた。しかし、P.S.T.C. LONDRINAに移籍することで、運営母体であるZUCC(ズック)で仕事を得る。スクールのコーチから始まり、徐々に下部組織の立ち上げと育成に関わっていくことになった。
荻窪監督「2005年からスクールコーチとして働き始めて、ベルマーレを戦力外になったあともずっと。それで選手としてはFリーグ参戦をめざしていないファイルフォックスで活動することにしました」
実は、湘南を戦力外になった2008年に一度、当時フウガドールすみだを率いていた須賀雄大氏(現フットサル日本代表コーチ、フットサル女子日本代表監督)からすみだへの移籍を打診された。しかし、P.S.T.C. LONDRINAが下部組織を立ち上げていく時期と重なっていたこともあり、仕事との両立が難しいため、すみだへの移籍は見送った。しかし、2013年には、そのすみだへ移籍する。
荻窪監督「2011年に小学4年生のクラスの立ち上げを担当したんですけど、小田原地域のタレントが集まったチームで。保護者も熱量が高くて、毎試合見に来るし、そんななかで担当を任されたのは結構プレッシャーがありました。で、チームを持つと僕自身は自分の試合に行けない。そうすると自分の中に、このまま指導者としていくのか、まだ選手をやりたいのかというモヤモヤが出てきて。そのタイミングで須賀ちゃんからフウガで選手とコーチと両方やらないかというオファーがもらえたんです。ズックとしては、選手としてというより指導者としてという方が強かったと思いますし、子どもたちが小学校を卒業するまでにどう成長するのかを見たいという思いもありましたけど、最後にもう1回、本気でFリーグでやってみたいという思いが残っていたのと、フウガがチームとして優勝(関東フットサルリーグ、地域チャンピオンズリーグ)したりして勢いがあって、おもしろそうだなと思っていたので、移籍を決断しました」
選手としては、ファイルフォックス府中から、指導者としては、P.S.T.C. LONDRINAからフウガドールすみだへの移籍となった。声をかけてくれた須賀氏とは共通の知人も多く、旧知の仲。須賀氏が東京都選抜の監督を務めていた頃に、荻窪監督を選手として招集していたこともある。また、P.S.T.C. LONDRINAで指導していたときには、すみだのスクールと練習試合を盛んに行なっていたこともあり、選手としても指導者としても、その実力が理解されていたのだろう。すみだでは、1シーズン関東リーグを戦い、翌年はフットサルのトップリーグであるFリーグで戦ったが、Fリーガーとして戦ったその年を最後に、選手は引退した。
すみだでは、スクールコーチから始まり、選手を引退した後は、下部組織の各年代の監督として、またサテライトの監督として、指導者経験を重ねていく。さらには東京都の年代別選抜チームや関東第一高校サッカー部の指導にも携わっている。こうして歩んできた道が、現在地であるトップチームの監督へと続いていた。
より高いレベルで自分を表現できる選手を育てたい
指導者としての原点は、自分自身が感じたフットサルを昔からやっていればもっと上手くなったのでは? という疑問。
荻窪監督「フットサルは知れば知るほど深いし、考えて突き詰めて細かいところまでやっているのに、自分が今までやってきたサッカーって何だったんだろう?と思ってしまったんです。本当に漠然とやっていたなって。そのサッカーの練習でフットサルの練習をやっていたら、もっと上手くなれたんじゃないかなと思いました。実際、関東第一高校にも2年間指導に行っていましたが、その子たちが去年(2021年度開催第100回大会)ベスト4という結果も出してくれた。それは偶然かも知れないですけど、やっぱりフットサルに関わって少し変わったという実感もありますから。高校サッカーや大学サッカーでも、フットサルのトレーニングが活かされるといいかなと思います」
フットサルとサッカーの指導で違うもの。「考えて突き詰めて細かいところまで」とはいったいどういったところなのか?
荻窪監督「僕は、フットサルは足元の技術だけじゃなくて戦術が学べると思っているんです。フットサルだとグループは、2人から5人ですけど、5人までのグループの構造、グループ戦術をちゃんと理解していれば、サッカーで8人になったり、11人になったりしてもちゃんとできる。それが多分、スペインやブラジルなんですよね、彼らは小さい頃からフットサルをトレーニングとしてたくさんやっていたり、理にかなった戦術的なことをたくさんやっています。ブラジルなんて自由の国だと思われてますけど、全然自由じゃない」
実際、Fリーグで活躍する外国籍選手は、ピッチで結果を出すのが早い。
荻窪監督「以前、ガリンシャ(現バルドラール浦安/2018〜2020フウガドールすみだ在籍)に、『日本は戦術が多い?少ない?』と聞いたら、『全然少ない』と言っていたんです。彼らに『こうやって動いて、ここブロックして、こうシュートに入って』と指示を出すと、『OK、大丈夫』と言ってすぐにできる。彼らが外国のチームですぐに適応できるのは、その頭があるからですね」
ジョガーダ、戦術を共有することで、高いレベルで自分のプレーをチームで表現できる。
荻窪監督「日本は、サッカーからフットサルへ転向する選手が多い弊害で、サッカーはできても戦術的なことをやってない選手が多いんですよ。フットサルは戦術が多いので、フットサルに入ったときに適応できずにおもしろくなくて辞めてしまう。僕も始めた頃はそうだったんですけど、どう動いていいかわからなくなる。戦術的なことを学んでいない選手は、『え、どう動けばいいの?』ってなっちゃう」
サッカー選手がフットサルをプレーしたときに「迷子になる」と表現することがあるが、それは動き方自体がわからないから。理論を知っていれば、自分がどこに動けばいいか、おのずとわかる。
荻窪監督「スペイン人やブラジル人には、動き方がわからないなんて言う選手はいない。どうスペースを使って、どうゴールに向かうかというのを小さいときからやっているので理解している。お互いの位置を見て、相手を見て、一人が動き出したらそれに対して周りが合わせてアクションを起こしていく。そういうこともフットサルをやっていると理解できる。サッカーでも、フットサルコートくらいのピッチサイズで同じくらいの人数で戦う局面はあるはずで、例えば4対4や5対5くらいで崩す、サッカーのサイドのエリアでそれくらいの人数で崩していくとか。僕は川崎が地元なので、先日(川崎)フロンターレの試合を勉強を兼ねて見たんですけど、フロンターレはそういうのが上手でした。フットサルのグループ戦術が理解できていれば、そういうプレーができると思います」
一方で、サッカーの指導者がフットサルの戦術を嫌う場合もあるという。
荻窪監督「決まった動きは『ロボットになる』から『やらない』という方もいます。でも、動きは決まっているけど、相手を見て変えるのが当然なので、その動きをしながら、全員が相手を見て、今何が有効なのかを考えながらプレーできればいいし、そういうプレーをもっともっと出せるように指導していきたい。ですから僕らのクラブでは、スクールから戦術的な要素を入れているんですよね」
戦術を知り、技術を高めたうえで選手に求めていきたいものがある。
荻窪監督「形だけにならない、今何を決断すべきなのか、ピッチの中で判断できる選手。そうなってくると認知力が大事です。誰がどこに配置されていて、どこにズレがあるのかを見極めるための認知力。その型をやることが目的ではなく、最終的にはゴールを取ることが目的なので、どこから攻撃したら有効なのかを判断できる選手を育てていきたい。簡単ではありませんが、そういうのは小さい頃から積み重ねていくことが大事だと思いますし、個人のアイデアも出して欲しいですし。クリエイティブな選手を育てて、その上で勝利したいと思っています」
日本にフットサルを根付かせることが目標
荻窪監督がチームを率いることになったのは、前任の須賀氏からの指名によるもの。フウガドールすみだというクラブを象徴する人物でもある。
荻窪監督「須賀が『今年で辞めるから、次はやってほしい』ということで。正直、『フウガ=須賀』『須賀といえばフウガ』というチームの監督を自分がやるというのは、荷が重いし、イヤでしたよね」
下部組織の全カテゴリーに加えてサテライト、さらには東京都選抜U18の監督経験もある。その経験を見込まれた。
荻窪監督「消去法で残ったのが僕だったというか(笑)。『やってくれ』と言ってくれたというのもありますし、個人的にはチャレンジとして」
「切り替え0秒」「一体感」「進化」といったクラブを象徴するスローガンが存在する。その中で、指導のバトンを受け取った。
荻窪監督「僕が入った頃のフウガは、本当に縦に速い、ゴールに向かっていくようなプレーが多かったんですね。トランジション合戦、だから『切り替え0秒』というのが大きくあったんですけど、Fリーグを戦う中で、フウガと対戦する相手がその対策を取ってくる、そうなったときにボールを繋ぎながら攻撃していくというスタイルに変わったと思います。自分がチームを率いるにあたっては、須賀が作ってきたものを残しながら、自分の経験や伝えたいこと、自分の色を少し乗せていくというようにしました。大きく変えるというのは、チームにとっても、クラブにとってもいいことではないと思いましたし。ですから改めてフウガらしさを出せたらいいなという感じでした」
1年目は、原点に戻ったところを体現することをめざした。加えて、自分自身が指導者として大切にしている戦術の浸透なども図りながら今シーズンを迎えている。
荻窪監督「自分が求めるプレーが出てきている部分もあります。ただ、これをやれというふうに決めた方が勝てるかもしれないですけど、それで勝つよりは選手たちの良さも出しながら勝ちたいというのがあるので、選手たちの話も聞きながら」
また、トップチームを率いる監督の責任として、クラブの目指すところも当然意識している。
荻窪監督「2028年にアジア制覇を目指していますし、そこに向けて下部組織を小学生から立ち上げてきています。下の年代からフットサルに携わっている選手を増やして、28年にはそういった選手が中心になってチームを作る。理想としては、清水和也みたいに代表にも関われるような選手を多く輩出して、チームを強くして、それでアジアを制するようなクラブになるというところですね」
現状、Fリーグの選手は全員がプロ契約ではない。そういった状況も変えていく必要がある。
荻窪監督「小学生年代からフットサル選手になりたいという子を増やしていかないと、日本全体のレベルは上がっていかないですし、そういう下の世代を育てるには、うちやロンドリーナなどのように、下部組織のカテゴリーのピラミッドがある程度しっかりできたクラブがもっと増えないといけないと思います」
フットサルの価値を上げるには、トップチームの勝利にこだわりつつ、育成を充実させていくことが結局は近道だと考えている。
荻窪監督「結果が全てだとは思わないですけど、結果はもちろん大事になってくると思います。下部組織やスクール生、サポーターとの関係性、そういうのももっとできるといいと思いますし。ですからクラブとしては、小学校訪問、保育園訪問もやっています。最近は、フットサルだけしかやってない子どもたちも増えていますし、フットサルをやりたい、フウガでやりたいという声も聞いている。フウガを知ってもらう活動を継続してやっていくことで、クラブとしてもフットサル界としても目標であるフットサルが日本に根付いていく。フウガのビジョンでもある、フットサルを通じて地域を活性化する、盛り上げていくことを目標に、まずは墨田区にフットサルを根付かせるというところを頑張ってやっていこうと思っています」
今、フットサル界で働く誰もが抱く一番の願いは「フットサルの価値を上げる」こと。その願いをかなえるために。それぞれの人が今いる場所で、自分ができることに全力で取り組んでいる。