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湘南ベルマーレ Fリーグ終盤12勝2敗の快進撃を振り返る

~村松裕樹コーチインタビュー プレーの決定権を選手に~

日本最高峰のフットサルリーグ「Fリーグ」の昨シーズン終盤に、ひときわ輝いた湘南ベルマーレ。10月以降の14戦で12勝2敗の快進撃を見せた。

その躍進を支えた1人が8月からクラブに加わった村松裕樹コーチ(36)だ。スペインの名門クラブ「インテル・モビスター」で世界最高峰の監督であるヘスス・ベラスコから学び、スペインのフットサル指導者資格を取得。

帰国後は育成年代に関わり、フットサル界最大規模のオンラインサロン「BAR」を主宰し、SNSなどでのプレー解説動画でも知られる。昨シーズンの振り返りや、発信活動についてインタビューした(聞き手・Hide)。

1試合1試合で最高のゲームを見せる


ーー最初に湘南ベルマーレのコーチに就任した経緯を教えてくれますか?

昨年度末に監督を務めていたフットサルクラブ・ユニアオ(愛知県一宮市)を辞めてから、自分でスクールを設立し、岐阜県リーグのチームも作っていました。環境がガラッと変わった頃でした。そんな時につながりのあった湘南関係者に声を掛けてもらった。ただ最初はあまり乗り気ではなかったですね(笑)。スクールを始めたばかりだったし。最初は週末の活動から、すべての参加に増えていきました。

ーーFリーグクラブの指導者(コーチ)に興味はあったのですか?Fクラブのコーチと育成年代の監督で、指導スタンスや役割に変わりはありましたか?

Fクラブのコーチは全然、意識していなかったですね。自分は育成に関わっていき、その選手たちとFクラブに挑戦していくことが目標でした。もちろん戸惑いもありましたが、やってみようと決断しました。指導スタンスに関しては育成でも、Fクラブでも変わりませんよ。

もちろんチームや選手によって特徴はあるし、自分が適応する部分と、自分を出す部分のバランスは必要にはなります。奥村監督はメンバー選考や試合の指揮がメーンで、僕はトレーニングメニューを考えたり、戦術的な部分で監督を補佐したりしています。

ーー湘南に合流したのは昨年の8月でしょうか?それから、どのようにチームを指導していきましたか?

8月から練習に入っていきましたが、チームのこと、選手のことを知り、自分がどうアプローチしていくか。1か月ぐらいは様子を見ていましたが、特に攻撃の部分は戦術を変えていきました。パスをつないで組み立てて、攻めていく新たなスタイルをどう実現していくか、考え方も含めてです。

これまでの湘南のやり方にはリスペクトしつつ、でも日本のトップレベルで中途半端なことをしても通用しません。9月から「動き方の軸は決めるけど、最後は選手に決断してもらう」という自分のやり方を強く押し出して、伝えて。浸透する難しさも感じながらでした。

ーー湘南は9月末までは6勝3分10負と黒星が先行していましたが、チームの状況はどうでしたか?10月以降は12勝2負で5位まで順位を上げました。

自分が合流後の8、9月も雰囲気は落ちることなく、選手は元気よくフットサルに取り組んでいました。黒星が先行して苦しい時期ではありましたが。10月に入って連戦連勝で、信じられないというか「これはきっと一時的なのだろうな」という気持ちでした。さらに連勝が伸びていっても手応えがあった訳ではありませんでした。

自分も選手も目の前の「1試合1試合」という意識で、勝ちが積み上がっていった。運良くプレーオフ進出の可能性も見えてきて、力を発揮できた。リーグ最終盤でプレーオフ進出が消えて、少し悲壮感が漂ったが、すぐに切り替えられました。プレーオフ進出がなくなっても「この試合で初めてフットサルを観戦する人もいる。見に来てくれている全ての人に、最高のゲームを見せる」と強い気持ちで臨みました。同じようにチームもまとまっていました。

ーープレーオフに届かなかった課題はありますか?全日の中止についてはどのような気持ちでしたか?

6連勝で迎えた11月の26節で、立川・府中アスレティックFCに0-1で負けたのですが、試合終了間際に失点するケースがありました。心のどこかで緩みがあった。このまま全勝すれば、プレーオフに入って、優勝できる可能性もあった。日本の、湘南地域の方々に、フットサルが「面白い」と思ってもらえる、そんな「大志」が自分の中で、どこか半信半疑になってしまった。もう一段階上の強さを持ちたい。信じ切れる「バカ」になりきれるのか。

全日ではリーグ戦での良かったところ、悪かったところをフィードバックして取り組んでいましたし、本当に全日のタイトルを取りたかった。引退する選手もいましたし、様々な境遇の中で、みんなの気持ちは強かった。その分、中止で心に穴が空いちゃいましたね。

スペインの情報を届けるSNS活用


ーーツイッター、インスタグラムなどのSNSで、スペインリーグのプレー解説を投稿していますが、いつ頃から始めましたか?

スペインから日本に帰国したのは2013年です。スペインにいる頃からSNSを始めましたが、当時日本でスペインの情報はなかなか手に入りにくかった。スペインにある情報が日本に伝わることは良いことと感じ、自分が学んだこともSNSに投稿していました。

1日1本は動画をあげて、コツコツやると、徐々にフォロワーも増えて、現在も続けています。今では動画をあげる人も増えてきましたが、続けているのは解説や動画あげるのが、自分が好きなんでしょうね。自分の宣伝になればという気持ちもあります。

ーーフットサル専門のオンラインサロン「BAR」はメンバーが約150人と大きなコミュニティーになっていますね。

昨年4月にサロンを始めたのですが、その前から指導者養成やコミュニケーションを持てる場を持ちたかった。サロンを始めても人が集まるかな、という不安はあった。自分がユニアオを辞めることになって、サロンをできる環境が確保できるようにもなった。指導者として向上したい人が悩んだり、分からなかったりしている中で、何かできないかとは思ってきたので。

フットサルの戦術、練習メニュー、スペインの資料など、様々な投稿をしてきましたが、1年やってみてメンバーと、色々な話ができるというのは大きい。まだまだ模索中ですが、知識を共有するのを軸に、自分の生々しい経験もこれから出していきたい。

プレーの決定権を選手に 日本のフットサルを変えたい


ーー最後の質問ですが、村松さんの今後の目標は?目指しているフットサル界のビジョンを聞かせて下さい。

湘南の奥村監督をリスペクトしたうえでの発ですが、自分もいつかは監督をやってみたい。湘南なのか、それ以外なのか、こだわりはないですが、監督にしかできないことがある。ただ、このスタッフ、選手、監督のチームであれば、監督になれなくてもいいとも思いました

僕が感じてきたことですが、日本フットサル界には監督に「こうしろ」と指示されれば、選手は「こうしないといけない」「やらないと試合に出してもらえない」。このような状況はあると思いますし、それを変えたい。

より上手い、より強いチーム、日本が世界で上位を争う国になろうとすると、僕はプレーでの決断の決定権は選手が持つべきで、そうでないと迷いが生じる。スペインやブラジル選手の決断の速さに負けないためには「監督に言われたことをやる」のではなく、「選手が自ずと考えて決める」ことを尊重して、その過程を働きかけるトレーニングをしないといけない。自分はそう考えています。

(了)

Text by Hide
Photo by SHONAN BELLMARE FUTSAL & Yuki Muramatsu
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