選手

素晴らしいフットボール人生でした

2020-2021シーズンをもって現役引退を発表した立川・府中アスレティックFCの田中俊則選手、上福元俊哉選手、渡邉知晃選手。

第1弾は「アスレの守護神」として9シーズンにわたりゴールを守り続けた田中俊則選手のラストメッセージ。

ーー14シーズンのFリーグでの現役生活、本当にお疲れ様でした。まずは引退を発表してから少し時間は経ちましたが、今はどんな気持ちでしょうか?
正直、今は仕事の環境が変わったこともあって、これまで以上に慌ただしく毎日過ごしているので、現役を引退したという実感はあまりないのが実情かな、と。

でも、先日の駒沢屋内球技場にペスカドーラ町田戦の応援に行ったのですが、あの舞台に自分がいないという現実には違和感がありましたね。そこで初めて「ああ、自分は引退をしたんだな」と実感しました。

あとは現役を引退して一番の変化は、少し太っちゃいましたね(笑)

ーー引退を決めた理由を教えていただいても良いでしょうか?また、引退を意識したタイミングなども教えてください。
実はFリーグを始めた時から常に自分のキャリアについて考えていました。最初はここまで長くプレーを続けるつもりはなくて、デウソン神戸でFリーグが始まった頃は2シーズンで辞めて教員になってサッカーの指導者になろうと思っていたんです。でも最終的に“引退”という決断に至るまでには自分が納得できるだけの理由がなかったので、シーズン毎に悔いのない選手生活を送ろうと意識してきました。

引退を意識するようになってきたのは、今シーズン、開幕戦では出場したのですが、その後に大きな怪我をしてしまいました。怪我はこれまでも多くありましたが、年齢を重ねていく中で怪我から思うように回復ができなくなっていることを実感しました。正直、Fリーグで300試合出場という目標もあったのですが、怪我から復帰した後も思うようにパフォーマンスが上がらずに苦しんでいました。

そんな中で12月頃に自分の仕事の環境にも変化があって、これまでのように選手を続けていくことは現実的にも難しくなってきたので、引退について昨年末に決断しチームに相談しました。

フットサルを始めた頃から自分のフットサル選手としてのキャリアの終わりを何となく意識してきましたが、今シーズンはその決断に至るだけの理由が揃い、また自分自身も納得することができたので引退を決めました。

ーー田中選手はFリーグのオープニングマッチに「デウソン神戸」の選手として出場していましたが、代々木第一体育館で華々しく開幕したFリーグはどうでしたか?当時の思い出などがあれば教えてください。
とにかく、「これからが本当に楽しみだ!」とワクワクして、心が躍ったことを覚えています。あの代々木第一体育館に約7,000人の観客が集まったのですから、当時の光景を思い出すと今でも興奮が蘇りますね。

当時のデウソン神戸はそこまで前評判も高くなかったですし、何と言っても対戦相手は「名古屋オーシャンズ」ですから国内屈指の選手たちが揃っていました。でも結果は引き分けでチームとしても大きな自信を得ることができた試合だったですね。

ーーその後、アスレで2012-2013シーズンから9シーズン在籍していたわけですが、あらためてアスレでの選手生活を振り返ってどうでしたか?
当時、アスレの監督だった伊藤雅範さん(現・バサジィ大分監督)がデウソン神戸でチームメイトだったこともあり、熱烈なオファーをいただきました。

デウソン神戸ではプロ選手に近い環境でプレーをさせていただきましたが、アスレでは一般企業で働きながら選手生活を送ることになりました。それまでフットサルの世界しか知らなかった自分にとっては本当に貴重な体験でしたね。最初の2年間は丸ビルのオフィスで働いていて、今の仕事に出会ったのもそれがキッカケとなりました。自分はアスレで「社会人になることができた」と思っています。

選手としては、デウソン神戸はフットサル経験が浅い選手が多かったのですが、アスレにはフットサル選手として長いキャリアを築いている、そしてユニークな選手が多くて、フットサルを学ぶことができたと思います。

そしてアスレの選手として忘れることができないのは、郷土の森総合体育館の雰囲気ですね。あの雰囲気が大好きで、あの会場でプレーできたことは忘れることができない思い出です。

ーーアスレではもちろん主力として大活躍していた田中選手ですが、2014年ころからフットサル日本代表にも選ばれるなど、選手としても充実した時期だったと思いますが、フットサル日本代表での思い出があれば教えてください。
自分が日本代表に選出されるようになってきた頃は、同世代の選手が多く、また個々のレベルも高かったのでとにかく楽しかったです。

それだけにAFCフットサル選手権の結果、2016年のフットサルワールドカップ本大会への出場を逃してしまったことは忘れることができない悔しい思い出です。

その後「もう一度日本代表を目指そう」と意気込んでいたのですが、代表から戻ってすぐに怪我をしてしまい、その後はそれまで以上に怪我と戦うことになってしまいました。

ーー現役生活でもっとも印象に残っていることは何ですか?
そうですね。フットサル日本代表選手にも選ばれるようになってきた頃、今の仕事と出会っているのですが僕を応援するためにたくさんの子どもたちが来てくれるようになりました。僕のプレーが支えになる、力になると言っていただいたときに、身体の奥底から力が湧きあがったことを覚えています。

キャリアを通じてたくさんの人に支えていただきましたが、応援してくれる人たちへの「感謝の想い」というのをこれまで以上に強く強く意識するようになり、自分が本当に幸せな選手だと感じるようになりましたね。

ーー印象に残っている試合や対戦相手はありますか?
自分自身がもっともハイパフォーマンスでプレーした試合は、デウソン神戸時代の2010-2011シーズンのバルドラール浦安戦です。スコアは0-0だったのですが、浦安のゴレイロ・藤原潤選手と高いレベルで競い合うことができた試合でした。どちらかと言うと神戸が劣勢でしたが、納得できるパフォーマンスだったと思います。

忘れることができない対戦相手は、選手だとリカルジーニョ選手とルイジーニョ選手(名古屋オーシャンズ)ですね。両選手とも素晴らしい選手でしたが、攻撃も守備も絶対に手を抜かない素晴らしい選手でした。

ちなみに、僕はリカルジーニョ選手にゴールは許してないはずです!!(笑)

チームでいえば、やっぱり名古屋オーシャンズです。毎回燃えましたし、何より郷土の森で名古屋と戦う試合は異様な盛り上がりで、お客さんとの距離も近くて、一体感を感じることができて最高でしたね。

ーーではキャリアを通じて田中選手のライバルといえる存在の選手はいましたか?
チームメイトでいえばやっぱりクロかな。お互いのプレースタイルは違うけれど、ずっと切磋琢磨してきました。クロの存在があったからこそ、自分もよりレベルの高いプレーを意識するようになりましたね。彼には自分にはない良さがあって刺激的な存在でした。

そしてポジションは違うけれど、やっぱりパッシャン(西谷良介選手)。大学時代から一緒でデウソン神戸ではチームメイトだったけれど、彼は自分の見てきた選手でトップ5に入る選手。神戸から移籍した後もまたいつか一緒にプレーしたいと思っていたので、フットサル日本代表で一緒に戦えたことは良い思い出です。パッシャンにはまだまだ頑張って欲しいね!

ーーホームアリーナでの最後の試合となった1/23のY.S.C.C.横浜戦ですが、見事なゴールを決めてみせました。多くのファンが感動したあのゴールについて振り返ってください。
自分はゴレイロだから、やっぱり守ることが一番の仕事。でもお客さんの前でゴールを決めることができて良かったし、自分はやっぱり「持っているな」って(笑)

技術的にはシュートをクリアにキャッチすることができたことが大きいかな。キックに関してはフットサルに転向後というより高校時代に何度も繰り返した練習の賜物。あの頃、テニスボールを使って何度も何度も繰り返した練習が今でも自分の中で活きているんだと思う。

ただ、あの場面はベンチからも飛び出してイエローカードを貰っちゃう選手もいて・・・自分のゴールであんなに喜んでもらえるのはやっぱり嬉しいね。

自分だけじゃなく、引退を発表したトモ(渡邉知晃)やカミ(上福元俊哉)も引退を発表した直後の試合でゴールを決めたのは面白いよね。チームとしての一体感を強く感じたし、こういうチームは珍しいんじゃないかな。

ーー今シーズンで現役を引退するということなのですが、今後はどのようなことに挑戦しようと考えていますか?
自分自身は今後はフットボールに深くかかわることはないと思っています。今の仕事で経営者として、もっと頑張っていきたいと思っています。何より今の仕事で関わることになった子どもたちのために頑張りたい。子どもたちが安心して、楽しく過ごしてくれる場所を作っていきたいと思っています。

ーー今後のアスレやフットサル界全体に期待していることはありますか?
僕たちが魅せられたフットサルというスポーツの素晴らしさ、魅力をたくさんの人たちに伝えて欲しいと思っています。また、チームやリーグだけでなく、フットサル日本代表には大きな期待を寄せています。日本全体を巻き込むような盛り上がりを作るには代表チームの活躍なくしてあり得ません。フットサルの未来は日本代表にかかっています。応援しています!!

ーー今田中俊則選手 ラストメッセージ
Fリーグでは14年間でしたが、サッカーを含めたフットボールには28年間お世話になりました。素晴らしいフットボール人生でした。自分を支えてくれたすべての人に感謝の気持ちしかありません。

本当にありがとうございました!!

これからは自分が誰かを支えることができるように、自分らしく全力で取り組んでいきます。僕はこれからもアリーナに行くことがあると思いますので、見かけたらぜひ声をかけてくださいね!

※本インタビューは2021年2月25日(木)に実施しました。

◆田中俊則
1985年10月12日生まれ、三重県松坂市出身。
大阪体育大学出身。高校時代には三重県立四日市中央工業高校サッカー部で全国高校サッカー選手権大会に出場。準々決勝では優勝した怪物・平山相太擁する国見高校に敗れベスト8。
フットサルはデウソン神戸でキャリアをスタート。2012-2013シーズンにアスレに加入。安定感抜群のセービングと正確なスロー・キックを武器にアスレの守護神として長く活躍。フットサル日本代表としてもAFCフットサル選手権ウズベキスタン2016に選出されている。今シーズン限りでの現役引退を発表した。
Fリーグ通算288試合出場6得点。フットサル日本代表としては11試合に出場。

▶Text by 立川・府中アスレティックFC
▶Photo by 立川・府中アスレティックFC
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