2020-2021シーズンを終えて、選手たちはオフに突入。その前に、今シーズン、湘南ベルマーレフットサルクラブでキャプテンを務めた上原拓也選手にインタビュー。ゴレイロになったきっかけから、今シーズンの振り返りまで、さまざまな話題について語ってもらった。
阿久津コーチが導いたゴレイロへの道
フットサルのゴールは、高さ2m、横幅3m。さほど大きくないゴールは、ゴレイロに身長が高いという条件を絶対的に求めることはしない。とはいえ、フィジカルに恵まれていることは、どこのポジションをやるにしても単純に有利であることに間違いはない。上原拓也選手の身長は、171cm。F1リーグのゴレイロには、180cmを超える選手はもちろん、160cm台の選手もいる。比べればやはり、小柄な方に入るだろう。
ボールと親しむきっかけは、サッカーから。小学校に入学するのと同時に地元の開成SCに入った。見学会に行ったその日に練習に参加し、即決で入団するほどおもしろかったという。多くの選手がそうだったように始めた頃のポジションはフォワード。憧れの選手は、日本代表でも活躍した大黒将志さん(現・ガンバ大阪アカデミーコーチ)。サッカー選手を夢見て練習に明け暮れた。
フットサルを始めたのは、チームメイトがP.S.T.C. LONDRINA(ロンドリーナ)のスクールにも通っていたことがきっかけ。「おもしろいよ」のひと言で体験会に参加した。サッカーとはまた違う楽しさがあり、二足の草鞋を履くこととなった。特にフットサルが楽しかったのは、年齢が上の選手と一緒にプレーする機会が多いこと。サッカーは、学年ごとに練習をするが、フットサルのスクールでは、まずは3年生から6年生まで合同で練習し、そのあとに3・4年生と5・6年生に分かれて練習するスタイルだった。しかも、3・4年生でも“これは”とコーチに見込まれた選手は、5・6年生のグループに入って練習ができた。上原選手は、「5・6年生の方に行きたい」と思いながら練習に励んだ。ところが、念願かなって5・6年生のグループに入ってみたが、厳しい現実が待っていた。
「初めて行ったときは、全然うまくいかなくて。結構、文句を言われてしまって。その悔しい気持ちをバネに練習したことを思い出します」
この頃はまだ、サッカーでもフットサルでもフィールドプレーヤー。攻撃的なポジションを担っていた。ゴレイロは、スクールが始まる前のひと時、遊びのシュート練習のなかで。ところが、たまたま見ていた阿久津貴志ゴールキーパーコーチから「拓也、お前キーパーの方がいいんじゃない?」と声がかかった。
「自分でも遊びでキーパーをやるのが好きで。もちろんフィールドも好きなんですけど、点を取るより止める方が楽しくて。『俺、キーパーの方が好きなんだけどなぁ』って思いながら、フィールドをやっていた感じでした」
なんとなく感じていた違和感をズバッとつかんだ阿久津コーチの言葉。このとき、小学校5年生。そのうえ、阿久津コーチから声がかかっただけあって、強化選手を対象にしたカップ戦に向けての練習に、“ゴレイロとしてなら”という条件付きで選出され、今度はポジションまで掛け持ちすることとなった。上原選手が迎えた最初のターニングポイントだ。
中学に入学すると同時に、ポジションをゴールキーパーに決めた。サッカーとフットサルの掛け持ちは相変わらずだったが、フィールドでプレーすることはなくなった。高校は、全国高校サッカー選手権への出場を目標に選び、ロンドリーナからは離れてサッカーに集中した。このとき将来に向けて持っていた夢は、プロサッカー選手。しかし、本大会への出場はかなわず、進路も現実的な方向へ舵を切り、消防士になることを決めた。
「大学サッカーに行く道もあったと思うけど、この身長ではプロに行くのは厳しいと自分でも感じていて、高校は私立に行かせてもらったので消防士になって両親にもちょっとずつ恩返しができればいいなぁと思ってたんです」
そんなところへ再び、阿久津コーチから連絡が来た。2度目のターニングポイントだ。
「『進路はどうするの? フットサルでFリーグを目指す気はない?』と言われて。正直、そのときまでフットサルをやる気持ちはなかったんですけど、高校サッカーで不完全燃焼っていうところがあったし、プロにもなれなかったし、そういうところでちょっとモヤっとした気持ちはあった。だから、フットサルに行ってフットサルでプロになることでその思いを晴らすことも可能なんじゃないかなと考えました。ただ、フットサルを始めるには、それなりの覚悟が必要だなとも思いました。確実にFリーガーになれるわけでもないし。迷いながら、両親にも相談しながら、Fリーガーを目指そうという気持ちにさせてもらって、フットサルを始める決断をしました」
高校を卒業した2015年4月にロンドリーナに入団。そこからトップチームである湘南ベルマーレフットサルクラブへの昇格を目指すこととなった。ここではじめてフットサルとサッカーの違いを感じた。オフサイドがないフットサルでは、フィールドプレーヤーの動きを制約するものがない。しかも自然のなかで行うサッカーと違い、高い技術そのままにボールをコントロールしてくる。守る範囲は小さくなったが、難度が下がったわけではなかった。
「正直、サッカーゴールよりちっちゃいから止められるだろうと思っていたんですけど、オフサイドもないですし、フットサル特有の戦術とかで、ゴールの横に選手が立っていたりして、最初はすごく戸惑いながら、どうすればいいんだろうと思いながらやっていました」
中学生のときは、まったく感じなかったフットサルとサッカーのゴールキーパーの違い。Fリーガーを目指すレベルのなかで、その違いを実感した。それでも、加入した年の10月には早くも特別指定選手として昇格を果たしている。
しかし、その後はロンドリーナとトップチームを行ったり来たり。Fリーグでは、23歳以下の間は、特別指定選手の枠で昇格し、トップチームで出場機会が少ない場合はサテライトに戻り、そのチームが所属するリーグで試合経験を積む選手も多い。特にゴレイロは、たった一つのポジション。トップチームの守護神フィウーザ選手は、Fリーグの2020-2021シーズンのベストファイブに選ばれるほどレベルの高いキーパーだけに、その座をおびやかすのは難しい。そのため加入後3シーズンは、そういった枠も利用して、切磋琢磨してきた。2019-2020シーズンはFリーグ選抜で過ごし、そしてベルマーレに戻った昨年11月、上原選手は24歳になった。
「フィウーザは、本当にいいキーパーだと思います。でも、ここで結果を残すしかない」
念願のFリーガーとなった今、目指すは正守護神の座。行く手を阻む壁は高くても、越えなければならないことは誰よりも自分が理解している。
アスリートとしてレベルアップしたFリーグ選抜の経験
Fリーグでは、2020年に開催予定だったFIFAフットサルワールドカップ(2021年9月に延期)にむけて、2018年から2シーズン限定で若い選手の強化のためにFリーグ選抜を創設。ディヴィジョン1にチームとして参戦する強化策を実施した。上原選手は、2019-2020シーズンにその一員として活動した。
「Fリーグ選抜にいくには、まずセレクションに受からなければならないんです。その打診を受けたときに、トップチームにはフィウーザもいるし、そこで経験を積むのも一つの手かなとまず感じました。経験を積まないと、自分自身の成長はないと思っていたんで、セレクションに受かったときはうれしかった。でも、Fリーグ選抜で経験を積んで帰らないと、選手として終わってしまうから、覚悟を持ってやろうと思っていきました」
セレクションは2回行われ、ゴレイロは合計8人が受けた。受かったのは2人。思っていた以上に狭き門だった。拠点は、名古屋オーシャンズのホームだった武田テバオーシャンアリーナ。遠方から来た選手は名古屋オーシャンズの寮に住み、そこで生活する。練習はほぼ午前・午後の2回行われ、週末にはリーグ戦にFリーグ選抜として参戦した。
「フットサルのための生活を1年間送らせてもらいました。練習量っていう意味でも、なかなかできない経験だったし、すごく贅沢だったと思います」
オフは試合の翌日だけ。あとは基本的に2部練習。しかも、地元のチームでFリーガーに登りつめた上原選手は、実は一人暮らしの経験がなく、自炊をしたこともなかった。ところが、寮では朝・夕の2食を自分たちで作らなければならず、洗濯などの身の回りのこともすべて自分でやるしかなかった。練習の始まる時間から逆算して食事を作って、食べて、支度をして出かける、そんなこともはじめて経験した。
「トレーナーとコミュニケーションを取って体重管理の話とかして。食自体の指導はなかったですけど、自分で勉強しました。僕は体重を少し減らしたんです。僕、ご飯が大好きでおかわりしちゃっていたんですけど、結局それでは糖質を摂りすぎていて。自分では代謝できていると思っていたんですけど、ご飯の量を選手として必要な量にしたら、自然と体重が減って動ける。タンパク質の量、脂質の量、糖質の量、それで身体も変わってきました。それも選手として磨くべきスキルだったのかなと思います」
アスリートは、ただその競技の技術だけを追えばいいというわけではない。同時に意識を高く持つことも学んだ。
「身体はすごく大事。だからオフのときも1日5km走ったり、オーシャンアリーナに行ってジムでトレーニングしたり、あとは名古屋で自分で契約していたトレーニング施設でトレーニングしたり。フットサルのことだけを考えて生活をしていたからできたというのもあると思うんですけど、選手として充実していましたし、本当に良い経験になりました」
これまでと違う意識が持てたのは、精神的な部分でもそうだった。
「ロンドリーナでプレーしていて外を知らなかったので、1回外に出て、外の世界を知るのも経験だなと1年終わった後に感じました。普通だなと思っていたことが普通じゃなかったり、考え方が違う人と話をすることができたり。『あ、こういう考え方もあるんだ』と感じることができて、すごく貴重な経験、自分の世界が広がったなというのもありました」
また、Fリーグで13度の優勝を誇る名古屋オーシャンズの練習を間近で見る機会ともなった。
「隣のメインアリーナで名古屋オーシャンズの選手たちが練習しているんですけど、すごいです、ほとんどミスをしない。パスミスもなく、キーパーのプレーを見ていても、すごく簡単にプレーするんですよ。これがプロだなって思いました」
Fリーグ選抜の選手たちは、ほとんどがディヴィジョン1に所属するクラブが所属元。つまりリーグ戦を戦うなかで、必ず自分がいたチームと戦う機会が巡ってくる。
「みんな所属元のチームと対戦するときは、負けたくないと思っていたんじゃないかな。自分の価値を証明しなくちゃいけないし、所属元のチームに勝つことで自分の価値を証明できるんじゃないかなっていう思いはあったと思うので、みんな気合いが入っているなぁっていうのは感じました」
もう一つ、客観的な目で所属元のチームを見る機会でもあった。
「外の世界を知ったなかでも、やっぱりベルマーレのフットサルは魅力があると思ったし、いい意味で型にはまってないというか、型破りというか。もちろんセオリーとか基礎とかはあるなかで、型破りのフットサルもできて、そこはすごく魅力的なんじゃないかなと思いました。外国人選手も魅力的だし、選手一人ひとりが独特のオーラを持っている。対戦もしたので、他のチームとは違うオーラというか、雰囲気を持っているチームだなと感じました。言葉で表現するのは難しいんですけど」
若手の成長を促す強化策を経験して、心身ともに成長した自分を感じている。その経験は必ず活かさなければならない。
「だから僕ら選抜にいた選手たちは、代表に入ったりしなくちゃいけないと思ってます。そういう結果で、Fリーグ選抜を作ったことが正解だったぞと僕らは証明しなくちゃいけない選手たちだと思うので。選抜に行って満足で終わったらそこまでだと思うし、選抜に行って、そこからレベルアップするっていうのがすごく大事だと感じます」
クラブに、そしてリーグに。今は、プレーヤーとして自分の価値を証明する時を待っている。
(後編につづく)