2016年の馬場監督就任以降、更にボルク北九州は進化を遂げていく。
タイ、スペインへの遠征。サンティアゴとの提携。
タイ遠征では観客を入れタイ代表と試合を行い、それがテレビで放映されて新聞に出る。普通に考えると九州リーグ所属のチームが出来ることではない。それが実現したのは馬場監督がこれまで培ってきた実績と信用、そして人脈があったからこそだろう。
僕が来て急に強くなったわけじゃない
馬場「九州内にとどまらず僕らは遠征していましたが、こちらから練習試合をお願いして断られたことはないです。関東関西に行っても『あぁ、ボルク』ってみんな知ってました。それは僕が来る前からのボルクが強かったからなんですよ。僕が来て勝手に強くなったわけじゃないです。彼らが元から持ってたものがあったから。小原さん(※)の時に何度も選手権出てたんだから。それで僕は恩恵を受けてたんですよ」
(※)小原さんの記事▶https://bit.ly/3dopUI9
–つまり、スペインからあの馬場源徳が帰国して監督をやっているチームだから、ということではなかった?
馬場「そうです。僕が来て強くなったわけじゃないと思います。名古屋オーシャンズに引き分けたのも小原さんの時代で、恭輔(中村恭輔・現ボルクバレット北九州代表)がキーパーやっていました。二年前(2018年)の選手権もオーシャンズと当たりましたが、その時もオーシャンズのGM(櫻井嘉人氏)に言われましたもん。『あの時のボルクだよね?』って。そういう流れって最近の選手は知らないし、僕は初期のボルクを最後の方で感じられた中の一人だと思うんですよ」
新たなチャレンジ・Fリーグ参入へ
時にFリーグのチームにも「噛みつきに行き、ボコボコにやられてた」というボルク北九州の遠征に次ぐ遠征。その繰り返しの中で出てきたのがFリーグを目指してはどうかという話しだった。
馬場「大阪、関西とかの練習試合に勝った時も見ていた人達が言い出したんですよ。『もうFを目指した方がいいよ』って。その時期たまに広島F・DOとかにも勝ちだしたんですよね。今まで勝てなかった練習試合にちょっとずつ勝てるような感じが出てきた頃でした」
Fリーグを目指す方向に舵を切りはしたものの、そこにはクリアしなければならない課題がいくつもあった。
当時のボルク北九州代表の小原崇さんが「もう(Fリーグ参入を)断念する」と馬場さんに伝えたのは、スペイン遠征中のサンティアゴからマドリードに向かう電車の中だった。
馬場「3~4時間話したんですよね。ちょっと難しいって話があって。『何も準備出来てない。母体もないし体育館もないし人もいない。監督のレベルだけが達してる』って小原さんが言ってたんですが、僕もそれが現実のひとつだったと思います。
あの時の戦力で、30代とかになってきて先も難しい選手もいました。客観的に考えたら今の状態は奇跡に近いというか。今は転機が訪れてこの位置にいますけど、その前は本当に難しかったと思います」
しかし、そこで「もう一回チャレンジさせてくれ」と声を上げたのが、メンバーの中村恭輔さんだった。
馬場「中村は中村でよく頑張ったと思います。また違う戦いをしたと思うんですよ。3か月で(Fリーグ)参入にまでこじつけて、こじあけて、滑り込みで入って。もう本当に寝ずに。無謀な戦いっていう感じでしたよね、最初は」
中村さんは2016年の6月から8月の3か月、スポンサー獲得や交渉事に走り回り、時には東京にまで行く奮闘ぶりだった。
馬場「もうひとつ、参入するためには全国で結果を出して欲しいってスポンサーサイドから言われたんです。小原さん達が全国大会にいつも連れて行ってたんですけど、僕の代がなかなか行けなくて。なのにちょうどその時に結果を出して。色々と、かちっとハマりましたよね」
ボルクバレット北九州を世界へ。それが自分の出来る恩返し
F2参入後2年目で昇格を決め、遂にF1の舞台にまでたどり着いたボルクバレット北九州。
馬場監督はこの先何を目指して進んでいくのか。
馬場「絶対、日本でもトップのクラブを目指します。3~5年でボルクバレット北九州から日本代表を出し、AFCフットサル選手権に行く。そこは最低の僕の任務だと思っています」
馬場監督は冷静かつ力強く断言した。
馬場「こういう立場になると、もうやるべきことはやらなきゃいけない、みたいなところも出てきちゃってる。例えば人を切るとか。
元々の仲間もいたわけですよ。(自分を指導者として呼ぶために)会費を払ってた選手達にも僕は『もういいよ』って言う立場だったわけじゃないですか。言ってしまえば親不孝っていうか、僕はお世話になった選手達をちょっとずつ変えていった人間。そこはすごい感じるところはありますよ」
長い間チームに貢献してきた選手との別れ。それはチームが成長していく過程で必ず訪れる場面ではある。
馬場「だからクラブを強くするとか、このチームを違うものにするのが僕の最低の義務だと思うんですよ。僕はそれしか考えてないです。毎日とりあえず次の試合絶対勝つっていうことしか考えてないです。
移動時間も、ちょっとした隙間の時間もフットサルのことを調べる、考える。それでボルクバレット北九州が魅力をもって有名になって強くなる。
例えば代表戦だとBSで放送されることもありますが、その時にボルクバレット北九州の選手が映る。そしたらみんなが少しでも幸せになるんじゃないかと思うんです。
何があっても関わった人達は元ボルクだし、みんなが作ったクラブ。僕が出来ることはそれしかない。強化でクラブの価値を上げる。それが使命だと思います」
かつて在籍した選手たちが、自分のキャリアの中でボルクバレット北九州の選手だったことに対してすごいねと言われ、誇らしく思える。それは素晴らしいことだ。
馬場「全ていい別れが出来たわけじゃないです、正直。多分人が別れる時ってそんな簡単じゃないと思うんですよ。でも、悲しい辞め方をしたとしても、これから先、少なくとも誇らしく思ってくれたらいいな、と」
歴史が長くなるにつれ、人はどんどん入れ替わり、チームは続いていく。その中で受け継がれていくべきものは、チームの核であり、魂と呼べるものだろう。ボルクバレット北九州にとってのそれは、時代遅れなほどクレイジーにフットサルと向き合うことなのかもしれない。
馬場「ちょうど北九州でやって六年目ですね。長いですね、そう考えると。長いようで短いというか。なんだろ、昔の昭和のストーリーだと思います。公園で走らせるとか、夜中2時まで練習させるとか。ずっと素振りやらせるとか、壁相手にずっとボール蹴らせるとか。まるでそういう昭和のストーリーがここには詰まってるのかなと。昭和っていうか、古き良き日本っていうか。僕はそれを感じますけどね。自分達がそうやって苦しい環境でゼロからやってきたから。そういう意味ではハードワークとかハングリーとかをこれからも突き詰めていきたいですね」
(了)
Text by 東 恭子
Photo by 東 恭子
Illustration by style.t.84
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